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土佐絵日記

たぐる

東京で小腹が減ったなとなると、ちょいとそこらで「たぐる」。ちょいとそこらで「たぐれる」ぐらいに、そこかしこに蕎麦屋があって、出入りの街には必ず贔屓にしている蕎麦屋がある。それくらいに東京者は蕎麦が好きである。

私もその例に漏れず、小腹が減ると「たぐる」が、土佐には蕎麦屋がほとんど無い。そしてあっても不味い。全ての蕎麦屋を網羅した訳ではないけども、今の所は勝率0%なので土佐の蕎麦は不味いと言わざるを得無い。これから美味しい蕎麦屋を見つけて、「私ごとき小人が大きな事を言って申し訳ありませぬ。今後このような事が無いよう、益々精進していく所存でございます。」と、土下座が出来る日が来る事を祈るばかりである。

さて、蕎麦が不味い土地というのは日本の所々に分布していて、そういった土地には特徴がある。飢饉の経験がない、もしくはあまりない、何期作も出来る豊かな土地だったり、海に海産物が溢れていたりする土地である。蕎麦はそういう豊かな自然とは真逆の痩せた、小麦も育たないような土地でしょうがなく作られた作物で、そのまま食べてもあまり美味しくないので、麺にする。中国の黄土高原で人類初の麺とトマトソースの組み合せが生まれたようなもので、美味しくないから工夫した食べ物である。そういう意味で蕎麦は豊かさとは無縁の食べ物だと思っている。

では、豊かな土佐では人々は小腹が減ると何を食べるのか?それはうどんである。香川のように石を投げればうどん屋に当たる、というほどではないけども、土佐にもうどん屋が多い。朝から晩まで行列の絶えないお店や、人里晴れた名店が何軒かある。

土佐の家の近所にも行列の絶えない人気店がある。私はそこのうどんを大いに気に入っていて、去年までは土佐にいる間は小腹が減ると、冷しかけうどんを「すすって」いた。その日はお昼も過ぎ、「お店も空いてるだろう、今年初めての土佐でのうどんだねえ」と話しながらうどん屋に行ってみると、これが貼ってあった。

 

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訪れた日は七月二十六日の午後、まさに今日の今に閉店ですってよ。香川で休みだけじゃ物足りず、土佐では閉店とは。それでも、口はうどんになっていて、なんとしてもうどんが食べたい。これも良い機会なので、行った事のないお店に行ってみる事にした。そこで食べたのがこちらのうどん久五というお店。

 

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上がおろしうどん、下はきつねうどん。うどんにはあげ玉が付くのがディフォルトらしく、きつねはむじなになっていた。出汁は少し甘めのあっさりで、うどんは手打ちでむちむち。うん、なかなか美味しかった、また行こう。

神は耐えられる人にのみ試練を与える、とよく言うけれど、それならば私に耐えられるのは「うどんが簡単には食べれない」という事なのだろう。あくまで、もしかして、神がいたとしての話だが。もっとも、この日に閉店したお店を目の当たりにしたら、そう思わざるを得ないだろう。たぐる

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